並びで揉めた話(仙台編)ー1
2000年~2001年は仙台駅前周辺にて、パチスロ生活をしていた時の話。
以降を読み進める前に、こちらの記事もご覧なっていただくことをお勧めする。
めちゃくちゃ稼げたホールの話(第4話)-前日に設置機種全台の設定を公開するホール
当時の仙台駅前は、ホールの店舗数も多く、パチスロで生活するための環境としてはかなり良かったと思う。
以前の記事でも書いているが、固く勝ち続けるためには、お店が提供してくれるサービス台(朝一リール7揃い、設定4~6の札が刺さっているなど)に座りさえすればいい。
曜日や日付ごとに、各ホールをハシゴしながら最も効率良くおいしいところだけをさらっていくというのが僕のスタイルだった。
座って1日ブン回せばいい台が朝一から用意されているわけだから、当然ライバルもいるし、揉め事も起きる。
約半年間、仙台駅前でパチスロ生活をしていて、リアル神拳勝舞に発展しかけたことは約3回、小さいイザコザは多々あったが、その中でも印象に残っていることを書いていきたいと思う。
ちなみに僕はかなり温厚な方で、極力面倒は起こしたくないタイプだ。
そんな僕でも揉め事が起こっていたわけで、血気盛んな方が僕と同じ環境にいたら一体どうなるんだろうと考えると、ちょっと笑いそうになる。
仙台デビュー戦で、洗礼を受ける
2000年5月、ホールはリサーチ済みで、仙台で初打ちの日のことだ。
その日はXO(跡地にはベガスベガスがある)というホールで大量獲得機(大花火、タロットマスター、マリーンバトルなど)の朝一7揃い台をゲットするために朝5時から並んでいた。
このホールの朝一7揃い台は高確率で設定4以上で、大量獲得機をゲットできれば大勝のチャンスだ。
当時の大量獲得機の設定4は機械割が115%程度の機種もあったので、掴むことができればかなりアツかった。
先客は一人。
僕が並んだ直後にぞろぞろと数名並び始める。
どうやら先頭の人とは知り合い同士らしい。
早い時間から並んでいる人たちは、僕以外みんな親しそうに話していた。
とても雰囲気が悪い。
僕のことを、「あいつは何者だ?」みたいな話をしている。
そして明らかに敵視している雰囲気も大いに感じられた。
こういう状況で1人で並んでいるのは、本当に居心地が悪い。
週刊少年ジャンプを5回くらい繰り返し読みながら、ただひたすらに開店を待った。
開店時間になったら、ダッシュして7揃い台をゲットして閉店までブン回すだけだ。
耐え忍んだこと約4時間、いよいよ開店時間である。
そこで、まさかの信じられないことが起こった。
ホールのドアが開いた瞬間、先頭のお客さんが両手を広げて僕を前に行かせないようにガード、その瞬間に僕の後ろに並んでいる5~6名にダッシュで追い抜かれたのである。
台を確保しようとホールに入場したときには、全ての7揃い台にタバコやら携帯電話が置かれていた。
その瞬間、全身から怒りがこみあげてきて、僕はこれまでの人生の中で発したこともないようなセリフをグループのリーダーらしき人に向かって大声で叫んだ。
「てめえコラ!表に出ろやコノヤロー!!」
東北訛りの田舎っぺ大将なのに、なぜか関西弁になってしまうほどの怒りだったwww
リーダーらしき人も僕の態度が気に食わなかったらしく、二人で外に出ることになった。
殴り合いとかになったらどうしようと、ちょっとだけびびったwww
殴り合いになることはなく、ホールの外でレベルの低い罵り合いを繰り広げたのだが、リーダーはもう面倒くさくなったのであろう。
僕に7揃い台を1台打たせてくれるということで、解決しようということになったのである。
周りの目も気になるし、面倒くさいので僕もこの条件で折れることにした。
ホールに戻り、僕に解放されたのは山佐のアラベスク。
大量獲得機全盛時代にA400で登場した名機である。

一瞬、「えっ・・・」と思った。
ゲーム性は非常に良かったが、いかんせんスペックが当時にしてはいまいち…
当時の僕は見向きもしなかった機種である。
「本来であれば大量獲得機を打つはずだったのになぁ…」と思いながらも、状況が状況なので、渋々打つことにした。
結果
1日ブン回して
約30000円負け……
大花火やタロットマスター、マリーンバトルの7揃い台は軒並み箱を積んでいた。
この時ばかりはさすがに心が折れそうになったのを今でも覚えている。
揉めたグループのリーダーと後日ばったり再会
後日、面白いことが起こった。
深夜から以前の記事で書いたダイヤモンドというホールに1人で並んでいる時に、僕が並び出した直後に並び出したお客さんがいた。
なんとその人が、XOで揉めたグループのリーダーだったのである。
最初はお互いビックリしたが、深夜から二人で並ぶとなるとさすがに会話はするようになる。
二人で話すとリーダーはいい人ですぐに打ち解けて、その後は連絡を取り合うような関係になった。
リーダーは、何年間も仙台駅前周辺でパチスロで稼いでいるということだ。
リーダー「この前はごめんな…」
宮田銀次「いや、もうその話は大丈夫です。美味しい情報とかあったら教えて下さい。」
リーダー「おう、わかった。でもな、この世界では郷に入れば郷に従えなんだよ。あれが仙台のやり方だから…」
※郷に入れば郷に従え
その土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方である、などの意味の表現。
その当時はムカッとしたが、今思えば理解できなくもない。
ちなみにこのリーダーは、通称「寝袋」さんと言って、当時の仙台駅前界隈のパチスロ生活者の中では知らない人がいないくらいの有名人だった。
仙台駅前開催の美味しいイベントには必ず「寝袋」さんの姿があるからである。
なぜ「寝袋」さんなのかというと、ホール閉店直後の深夜からから寝袋にくるまって並んでいるかららしいwww
この人はホール発掘の嗅覚に非常に優れていて、僕も色々影響を受けた部分は多い。
とてもストイックで、僕が見本としていたスロッターだった。
この方と知り合ったおかげで、その後順調にパチスロで勝てるようになったと言っても良いのかもしれない。
仙台で過ごした1年間は、僕のルーツであり、スロッター人生の中でも最も激動の時間だった。
並びでの揉めた話(仙台編)はもう一つくらい書きます。
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タグ:揉めた話
確かに昔はイベントがあってそんな事が自分もありましたね…ただ以外に胸ぐら掴見合うくらいまで終わってましたね。まぁ日銭稼ぎに来て人生のリスク背負うほどの人は居なかったのかな?今なんて耳栓してりゃ気にならないレベルばかりだから平和なもんですよね(笑)
エチカさん
胸ぐら掴みあうとか僕だったら結構びびります(笑)
あくまで僕の印象ですが、都内のホールよりも地方のホールのほうが
血気盛んな人が多いのか、揉め事が起こりやすい気がします。
いや、そんなことはないかな・・・・・
はじめまして、仙台住の自分としては懐かしく読ませていただきました。
当時は仙台はすごい良い土地でしたね、今では信じられないくらいに…今では県内全域どうしようもない状態になってます…
ミネさん
はじめまして!
仙台はホント良い土地でした。
現在はかなりきつい状況になっているってのは
よくききますね・・・
すごい話っすねぇ
おいらのはモメるの嫌いなのでほぼないですが
仙台で一度もめました
換金所と 爆
景品の渡す方法わからなくてノックしたら切れられたw
引き弱さん
僕も揉めるのとかすごい嫌いなんですけどね。
当時は生きるのにあまりにも必死すぎて、
引くに引けない状況のときが何度もありましたwww
換金所態度悪い人たまにいますよねw
一昔前、ダイヤモンド6時開店新台入替日にて
満席のホー助に着席して開始時間を待っていたら
隣の席のオヤジがハンドルを手前に引いて、パチンコ台を
開け1オープンチャッカーの釘を指で4センチ位広げそのまま席を離れ、違う男に打たせていた、、
XO、ナポレオン、セントラルなど駅周辺のパチ屋が賑わった時代でしたね
阿川さん
ナポレオン、セントラルというホールが存在していたことを13年ぶりに思い出しました(笑)
ダイヤの話は怖いっすね…
客層があまり良くなかったイメージがあるんで、ダイヤであれば普通にありそうですね。
その後、ホー助がどうなったか気になります。
隣で打ってたら、まじビビりますね…
よく行っていた大将軍にもそんな集団いました
閉店前から並んでたな。。
実際に店の前で並ぶのは1人、後は車で待機してたけど
こんにちわ。てか寝袋さん。わかるよ。俺はこの人と五年くらい乗り打ちしたから。彼はアツいよ!信用できる人間だね。俺は彼の一つ下でいつも駅前に居たからあったことあるかもね。よかったらメールして。当時を思い出してきたよ。ダイヤのリーゼントの店長わかるよ。藤原マネージャーじゃなかったかな。彼は本物。背中にバッチリ墨もあるわ。ハハ
寝袋懐かしいなぁー
今はどこでなにしてるんでしょうかね?
真冬に閉店前から並んだのはいい思い出。