スロットをやめて、大学受験に挑む【宮田銀次のスロット歴史③】

※この話はフィクションです。


前回の続き


初めてのノリ打ちは実の母親とwww【宮田銀次のスロット歴史①】

楽園にオーガが降臨したあの日【宮田銀次のスロット歴史②】


オーガに禁パチスロを約束させられた僕が、以降、励んだことは大学受験勉強である。



高校も停学処分にすらならずに、厳重注意ということで事無きを得たこともあり、自分自身にも切り替えが必要な時期だと考えたのだ。



当時、僕の実家は非常に貧しかった。



父が事業を失敗し、会社を倒産させたということもあり、自宅は競売にかけられ、実家には数千万円の借金があった。
その影響で両親は離婚し、父親は工場の作業員、母親はスナックのママをやっていたのだが、相当まずい状況だというのは子供ながらに何となく理解していた。



そんな状況なので、お小遣いなんてせびるわけにもいかず、スロットで小銭を稼いでいたというわけだ。
僕は父親と暮らしていたが、母親とスロットに行っていたので、基本的には毎日父親とも母親とも会っていた。
でもそれは勿論、父親には内緒だったけどね。



「何とかこの状況を打破しなければならない!」



そのためには、自分自身が頑張るしかないという気持ちだった。



当時は、パチスロで喰っていくという考えはゼロで、そんなことが出来るとは夢にも思わなかった。
インターネットというものが身近ではなかったし、田舎だったので近くにスロプロなんていなかったしね。


大金を稼ぐためには東京の有名大学に進学して、一流企業に就職するという選択肢しか当時の僕には思いつかなかったんだ。
高校が進学校だったこともあり、やる気満々で受験勉強をスタートした。



意外かもしれないが、僕は勉強がかなり出来た。



ただ学校はサボってばかりで、さすがに科目数が多い国立大は難しいと思ったので、東京の有名私立大学に的を絞って、受験勉強を始めた。


結果的に、大学受験はうまくいったんだけど、父親とお金の問題で大喧嘩してしまったんだ。
大学に入学して以降の4年間の学費や生活費はどうするのかという話し合いから大喧嘩に発展してしまったのである。


新聞奨学生など色々な選択肢もあったのだが、父親と意見が折り合わずに、結局大学進学は泣く泣く諦めることとなってしまった。



そして、自暴自棄になってしまった僕は、あてもなく突然家出をしてしまったのである。



しばらくは友人の家に居候をさせてもらっていたが、お金を全く持っていたかったので、すぐにでも働くしかなかった。


1社目に行った社宅付きのパチンコ店での面接で、その場で内定が決まり、数週間前は予想だにしなかった僕の社会人人生がいつのまにか始まってしまった。


忘れもしない、2000年4月のことである。



(つづく)

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“スロットをやめて、大学受験に挑む【宮田銀次のスロット歴史③】” への4件のフィードバック

  1. さみしん より:

    やばい、おもしろすぎる!

    パチスロひとり旅を見ているような興奮です。

    昨日は返信有難う御座います。

    • 宮田銀次 より:

      さみしんさん

      コメありがとうございます!
      そう言っていただけるとすごく嬉しいです。

      更新頑張ります!

  2. こやあつ より:

    泣けます

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